孤独のすゝめ(孤独による人生の再定義)

f:id:wonderfulperson:20230211121954j:image孤独に意義はあるのだろうか?ただ悲しみにくれるだけなのだろうか?ひとりの時間が何を意味するのか?自分の経験と共に考えていきましょう!今日はとにかく思考領域拡大に向けたパレードが脳内で展開されている。コレは自分ながらに異常に思えてくる。しかしそれすらも楽しんでいる。知的好奇心って何かを学んだり知ったりする上でめちゃくちゃ強力な武器の気もしています。先ほどは発信のすゝめと用いて、何かを伝えて発信することが自分自身の可能性を周囲の人々と一緒に拡大でき、望んだ未来への方向の確立に向けて必要なことだ。そこでその発信をする上でさらに深掘りをしていこうと思います。それこそが孤独のすゝめについてです。なんでも薦めれば良いと安易に考えてるわけではないので具体的に述べていきます!まずひとりの時間を作らずして、何か新しい発想は生まれない気もする。人間関係での支援や援助による助け合いがお互いを認めて高め合う相互作用が働くとは思っているが、大抵の場合は結果や自分にとって重要な情報よりも周囲との共感が優先されがちになってしまうという点だ。人と話すとなればどこかで控えめに言ったり、遠回しで違うことを言ったりして周りと音頭を取ることに執着してしまうはずだ。となると人と何かを考えるのは合理的とは言い難い。どこかで妥協して自分と相手の互いの意思を100%としたとき分配しないといけないからだ。それが対人関係における取引だ。また、人それぞれやりたいこと・やるべきことが異なるのに、どう分かち合えと言うのだろうか?昔はテレビ📺が流れていればみんな仲良く見てたけど、スマホの普及でより一層、個人の興味ある話題やジャンルが異なることが可視化できるようになったと言うのに。となると人間関係は必要ないのか問題が生じるがそれは必要不可欠だ。一人で成り上がるのは無理がある。結果は自分以外の環境による影響が大きすぎるからだ。だからこそ大事なのは自分にとことん向き合って現実を受け入れた上でアイデアの生成をし、それを周囲に共有して、集まった仲間たちと出航することだと思います。しかしどうやら人間は若いうちの20年ほどで自我が確立してアイデンティティが出来上がる。そのため残りの余生はそれを維持しながら満たしていく作業が入るみたいだ。それこそ相手の意見を受け入れない頭が凝り固まった石像はいてもおかしくないし、スポンジ🧽の吸収率はやはり下がってしまうのかもしれない。20年も生きれば歩けるし考える能力は備わっているし困ることもない。だからこそ何か変化を求めていたり挑戦する上では、自分が歩んできた20年間のルートを見直して、『ここまで歩いてきたんだ!』と優越感に浸るよりは、『本当にコレで良いのか?』、『この常識は正しいモノなのか?』と我に返って現実を直視しないといけないという問題がある。そこで先述した孤独になることで冷静に思考し分析し、自分なりのアイデアが見つかるかもしれない。もちろんじ〜っと考えすぎてぼ〜っとした時間だけが増えると返って脳内スクランブルエッグでぐちゃぐちゃのdefault mode Network状態に陥って悲観的に考えネガティブ思考に陥ってしまう。ある程度の人との関わりと孤独の時間をうまく調査し、ベストな付き合い方が必要かもしれない。人によっては一人になった瞬間に孤独を感じて悲しみに暮れる夜が待ってるかもしれないし、自分の場合はむしろひとりの時間を作るからこそどんどん考えや言葉が脳裏に浮かんできて、自分にとってのパフォーマンスの向上が見込める。もちろん個人差はあるのかもしれないが、ひとりの時間は作ってみるのも良いかもしれない。昔遊んでいた施設やおもちゃを探してみて、自分の興味があることを再定義できるかもしれません。忙しく淡々とすぎていく日常の中で落ち着いた時間は作ってみると少し変わった景色が見えるかもしれません‼︎