KPOPの世界における革命について

f:id:wonderfulperson:20230214003021j:image【はじめに】まずは自分の話をして後にそれを元にして世界がどう傾いて行ってるのか?シーソーは誰が中央でバランスを保ちつつ動かしているのか?などのレ薄っぺらい内容ではあるが皆さんもどんな意味があるのか?なぜ世界はこうなりつつあるのか?を考えていきましょう!
【KPOPへの興味・関心】
ダイナマイト🧨が投下されたとき世界的にものすごい反響があったに違いない。誰もが知ってるBTSの【dynamite】だ。親世代だと少女時代とかKARAが流行していたが再びムーブメントが巻き起こり我ながらにK-POPに興味を示した。もちろんそれまで関心もなかったにわかだが、まるでそれまで寝静まっていたファンたちが【Fake love】を体現するかのように大反響であった。我々が楽しい仲間との友情を越えて異性に興味を持ち愛情を表現していくセルフイメージは【boy with luv】かのようだった。もちろんそれを言語化してリズムに合わせて人々の気分を高められるのも【iDOL】の醍醐味だ。以前ストーリーでも投稿したあのダンスと曲にはかなり深い意味が込められてるに違いない。そしていかにしてfeelingで音に乗って体を動かしてdanceそのものを楽しむ姿はまさに【permission to dance】だった。こんなふうに思考回路をグルグルと回して先を読んで想像し楽しんだり、自由自在に言葉を操る能力は元々自分に備わっていたのか?と考えることが多々あるが、親に似る以前に親を反面教師として育ってきた時間の方が長い気がするので、となると一度【DNA】鑑定で自分は誰の子なのか?何があってこんな人物に成り上がってしまったのか?を1から見直して考え直す必要がありそうだ。親にまで変わってると言われるレベルなのだから当然だ。
【本題】
そんなKPOPブームは今もなお止まることは知らず、昔よりもグループ数は増えて、ましてや国籍すらも韓国という枠組みを超えて世界的に広がった。まさにグローバルだ。それはjapanese versionが出たり、インドネシア大受けして母数が母国の韓国よりも多くなったり、ハーフ美女が参戦したりしていても違和感すらなく当然の流れのように思えてくる。そしてKPOPの良い点についてだがダンスを音楽はエンタメとして楽しめてかつリズムがあるため耳にも優しく、資本をMusic Videoに投じて我々はYouTubeやらで視覚と聴覚を同時に刺激して国境や言語の壁は透明に透けてくようにネットが世界規模で間接的な繋がりをみせた。そのクオリティーはビジュアルだけでなくダンスや歌声にまで反映されていてそれは日本が🇯🇵たどり着けなくても無理はない。コンセプトとして比較できないKPOPに対抗する気も起きず引退することは珍しくもない。ここで伝えたいのはKPOPスゴイね!という話よりももっと重要な点があります。それはより一層個性が重視される世の中の定着へと近づいてるという話だ。コレは端的に言えば、以前投稿した"孤独の意義"について読んでもらうとわかることだが、今後間違いなく『個人の尊重・自由・多様性』とワードが肝になると確信しています。というのも昨日の親との対話で事実を元に気づいたことがあり、昔となれば母親は🤱育児・家事という概念があったからこそ亭主関白が当たり前で結婚が絶対的な幸せであるとみんな信じていたし、家を建てて、車を買うことが幸せであったはずだから、ローンは組むし比較的結婚願望💒は速かったようだ。しかし今はどうだろう?家や車は魅力的だが本当に必要だろうか?結婚はした方が良いのか?その根本すらも世界的に問題視されていたりする。親が言っていたのは『今の子は結婚願望は昔よりもなくなってきてて、相手を受け入れる人が多い』的なことを言っていたがまさにそれだ。まず結婚できるほど物騒な日本で経済的安定は乏しくなってきてるという点があり、大学生ですら社会進出しても手取りが安いという問題すらも上がっていたりするし、結婚しなくても異性との交流や性的関係は出会い系やらなんやらで満たされるという点がある。そして相手を受け入れるということはまさに先ほど言った孤独を重要視して過去の当たり前が再定義されているということにお気づきでしょうか?KPOPからかなり遠ざかってるようでコレは日本に限らず世界的な革命が起きている気もする。コレは今を楽しむ面白さと共に昔の当たり前や常識の崩壊を意味するためそれに納得いかず違和感を覚える大人が大勢いて屈辱を感じててもおかしくないと思います。世界の発展スピードが情報の民主化によりとてつもないスピードでドラえもんの世界を目指しているに違いないと脳裏に浮かび、未来への期待値を上げると共に起こりうるリスクについても今後考えてありのままを発信したりエンタメとして別の概念を用いて楽しんでもらえればなと思いますが、そもそも集中力が低下している人類にこの媒体でこのような発信をすること自体、生産性がなくリスクを伴うという発見をしたがそれすらも理解しながら楽しんでいます。