アーティストへの道(芸術による創造物)

f:id:wonderfulperson:20230218115323j:image1.【芸術家】アーティストが体現する『50:50理論』

最近映画館にて『BTS Yet to Come in Cinemas』を観てきたが、あまりにも楽しいライブの雰囲気と耳に優しい歌声がマッチしていてまた行こうとすら思うほどの最高の見栄えだった。彼らは歌やダンスというアイドル的な面を持っているが間違いなくアーティスト枠だろう。もちろん興味や関心がない人はいて当然だが、感情を込めた表現力はとてつもなく精神を神秘的な空間においてそれまでの葛藤や苦悩や娯楽すらも全て開放させて新しい一歩に踏み出す瞑想してるみたいな感覚に陥る。とは言っても今呟いてる以上これは言語的で頭脳による文字列を気にしたプレゼンテーションにすぎない。いま全く笑ってないし冷静でいるからこそ感情の浮き沈みもないから作り笑顔すら厳しい状況だ。感情が籠るからこそ歌声にも強弱というより浮き沈みがわかるし、ダンスでも強調して激しく動くところとかも感情表現が歌詞という名の言語とマッチしてるようにも思えた。このようなLiveは観客と全力で向き合い楽しむからこそ感情全振りでも成り立つと思うが、実際アーティストとして長期的に確立させるには周囲の人を笑われて楽しませる感情だけでは成り立たない気もする。その場限りになるからだ。だからこそそこで言語による冷静で人の心を動かしたり大衆を魅了するための自己表現が必要になってくる。しかしこのようにつぶやくだけでは感情表現も難しく、飽きられて当然である。もちろんBTSの"Butterfly"を聴きながらならまだしも..。

論理的に伝えるがこれを見てる視聴者の心にはあまり響かないだろう。できる限り動画による声や表情を駆使して非言語とともにいま行なっている言語による表現の両立が必要なためそれを確立していきたいとは思う。ちょくちょくストーリーで出すエンタメ的なものやダンスを見ても誰もが口を揃えて言うだろう。『感情が伝わらない』ってまぁ言語的な頭脳による思考の時間に費やしすぎたのでもう少し恋愛ストーリーとか全力で笑う時間を作ってもう少し人間らしく生きる時間も作っていこうとは思っている。結果として50:50がどちらにも偏らずバランスよく人々に関心や興味をそそれる気がするがそれを冷静に考えてる今も言語に頼っているという悲惨なオチ。

 


☆言語・頭脳によるプレゼンテーション

(要点)→理性・論理・戦略・構造

(例え)→個人・孤独・解散・細胞

(具体)→歌詞・ダンスの振り付けなど

☆非言語・身体によるコミュニケーション

(要点)→感情・情熱・受容・共感

(例え)→集団・組織・群衆・集合

(具体)→歌声・ダンスなど

 


2.【なぜ知性&感性(50:50)の両立が必要か?】

言語に頼って自己表現をしたり歌詞に乗せて伝えることはできるが感性を司る非言語による表現がなければ歌に感情もこもらず、感情の浮き沈みや声量の強弱やテンポの速さがなければ変化がわからず、耳にタコができるのと似た感覚かもしれない。人の脳に論理を活用して知性に届けるのと同時に人の心に響く感情を活用して感性を働かせる必要がある。それは画家でも同じだろう。何かのプロフェッショナルならたくさんいるかもしれないが創造性や独創的なアイデアによるその人の思考のお遊び・エンタメを利用した方が抽象的で複雑だが見てて面白いし何かを悟り気づいたときの衝撃は大きい気もします。芸術はじぶん次第で限界が決まってしまうが終わりなき無限大の可能性は秘めているに違いありません。